キャッチ

日記

ぼくがまだ大学に通っていたころ、大金が必要になったことがあった。

そのときにいくつかの仕事をしていたのだが、そのひとつが、キャッチのバイトだ。

夜、チラシをくばったり、 出歩いている方に声をかけたりして、 そのひとのニーズに合ったお店を紹介するという仕事だ。

夜に関係する仕事は往々にして給料が高い。 そのうえスポットで入りやすく、短期でも受け入れてくれるのは、 フリーランスの閑散期にはうってつけだった。

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ぼくはふだんどおり、人に声をかけた。 体格のがっちりした若い男性だった。人相も普通だった。 こういうお店に行きたい、というので「あちらですよ」と紹介する。 それでさよなら。

問題はそのあとだ。

仕事も終わりというころ、さっきのお店に警察がやってきた。 聞けば、男性が女の子に手をあげたのだという。 その男性というのが、今しがたぼくがお店を紹介した男性だったのだ。

その女の子は同じ大学に通っていたのだが、大学の講義にも、お店にも来なくなってしまった。 友人づてに聞いた話では、自ら命を絶ってしまったのだということだった。

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女性にひどいことをする人というのはいる。

自分が紹介した人のどれだけがそういう人だったのだろうか。

キャッチの仕事をしていると、酔ったままそういった願望を口走る男性をよく見かける。 そういった人にひどい目に遭わされたんだよね、という話もよく女性から聞かされていた。 女性たちは良い人ばかりだったが、事情がある人ばかりでもあった。 しんどい、という話はされるけれども、お店に人を回さないわけにはいかなかった。

ただ、事情はあっても、その仕事のほんの一部は、ひどいことをする片棒を担ぐ仕事でもあるわけだ。 それをわかった上で、自らの行いに耐えながら、日銭を稼ぐのである。 そういうことは織り込み済みで仕事をしていた。

そこにはわずかに、誰かの精神力や、命さえも織り込まれていた。

その糸を手繰って、自らや家族のために稼ぐのだ。

それが仕事だ。

それがぼくだ。

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女の子に何があったのかは今も知らない。

だから、自ら命を絶つ原因が何であったのかはわからないし、 その晩のことが原因だったとて、ぼくだけの責任ではないはずだった。 ドライに考えれば、暴力をふるった男性や、お店の体制だって悪いのである。

だが、ぼくは、彼の本性を見抜けなかったことが、 たまたまそこに居合わせてしまったことが、 自分の行いが、耐えられなくなっていった。

自分はこれほどまでに弱かったのかと思い知った。 仕事をはじめたころにあった覚悟は消えていた。

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とはいえ。

誰かが一晩を楽しく過ごせるように計らったことで繋いだ命がどれだけあっただろうか。

その糸を手繰らなかったら自分はどうなっていただろうか。

そういうことも痛いほどにわかる。

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電車の運転手は、その車掌人生の中で、ひとりは人を轢いてしまうのだという。 だが、そういうことがあったとて、良くない仕事だという人はどこにもいないだろう。

そこに仕事としてある以上、社会にとって必要とされ、自らも必要とし、 そこには織り込み済みの喜び、織り込み済みの稼ぎ、織り込み済みの命がある。

それはそういうものなのだ。

そういうものだとわかって、全うする人がいて、志す人がいて、彼らを応援する人がいる。 その仕事の恩恵を受ける人もいる。

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頭ではわかっている。

わかってはいるが、手の震えはすぐには収まらないのだった。