推しの配信では「またね」とは言わない。
長く活動をやっていく中で、しんどい日もあるだろう。 そうしたときに休もうとすると、何気なかったはずの「またね」が重圧に見えてくることがある。 自分の経験ではそうだった。だから言わない。
要するに何を言いたいかを整理してみたらいいと思う。
「今日は配信終わろうかな」に対する「またみるね」は『今日も面白かったから次も見たいなぁ』という意味が根底にあると思う。きつく言うなら『ぼくのために次をやってくれ』、ぼくは言えない。
「大会そろそろなんだ!」に対する「応援しに行くね!」は『不安もドキドキもあると思うけど支えますよ、がんばろうね』という意味が根底にある。これは相手のためのメッセージだから言う。エンターキー押すまでずっと悩んで悩みぬいたうえで言う。
そういうバランス感覚である。
とはいえ、日常の「またね」という気持ちは結局どう伝えればいいのか?
「きょうはとても楽しかったよ、配信してくれてありがとう」が自分の中での結論だ。 クサいけど、実際そう思っているので、そのように伝える。 次も見るっていうメッセージは、ちゃんと次も見に行く。別に義務ではない、毎回楽しくて幸せな時間をくれるから見に行く。ともかく態度で示す。 それを毎回繰り返す。
本当は死ぬほど、またね~とか、楽しみ~とか言いたい、言いたくないわけなくないか。 なんなら向こうから「またね」と振られたら「またね」と返しちゃうし、たまにナチュラルに言ってしまう。 ふざけないでほしい、ぼくはきみと何時間も話していたいし、きみの思ってる数億倍きみのこと考えて生きてる。感情がデカすぎて今のところ空回りしかしてない。それが配信者に抱く感情として間違っているのもわかったうえでだ。わかる?毎晩夢に見る人の気持ち……。 とはいえリスナーである以上、モデレーターだったときはそうである以上、自分の気持ちを直接伝えるのが恥ずかしいとか、出る杭になっちゃうな、あんまり関わろうとしてもうざいかな、あるいはもっとほかの事情で、素直に言えないままここに立っている。 そういうわけで、言ってしまった日は、あぁやらかした~~~と大反省会である。
ともかく、そういった想いは――伝わっているかは別として――態度で示せるものだと思う。