オールドルクセンブルク、かすかなもてなし

日記

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オールドルクセンブルクは特別なときにしか使わないですよ、きょうは眺めるだけ

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豪奢なことはない。

オールドルクセンブルクは、白い生地に単色で、小さく草花が描かれている。

ぼくにはそれが上品で、洒落ていると感じられる。

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どだい、ぼくには記念日という意識が希薄である。

クリスマスはマネージャーとしてみんなを休ませる責任があると思っていた。
正月はひたすら仕様を詰めた。
誕生日は仕事したら過ぎていた。

それが最終防衛ラインとしてのぼくの役割であって、献身はぼくの好きなことでもあった。
職業柄さまざまなものを捨ててきているので、いまさら記念日に強い思い入れもない。
何より、ぼくにはそのほうが楽だった。

ときにそういう姿勢は、仕事でほかの人が開けた穴を埋めることに役立った。

が、あまりよくないとは思う。

今年からはやめようかな。

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ぼくはオールドルクセンブルクを特別な日にしか出さない。

友達が来ても出さない。
親類が来ても出さない。
恋人は、時によるかもしれないが、まず出さない。

記念日の中でも特別な、
誕生日の中でも特別な、
あるいはもっとほかの、
人生の中の大切な瞬間のために持っている。

シンプルに高額だからというのもあるのだが、そういう風に使うといいように思える。

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たとえば、飲みすぎてふらふらの友達が家にやってきたとして、 ポカリもヘパリーゼも頭痛薬もお茶漬けも準備しておく。

そういう人間だ。

ふつう煙たがるだろう。

わかっていてなお、何でもしようとしてしまう。

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紅茶を淹れるときには、カップをよく温めておき、茶葉をよく蒸らす。

こうすると美味しくなるらしいと聞いた。ぼくにはよくわからない。

べつにそうした仕草がなかったところで悪いとは思わない、もちろん他人にも求めないけれども、そういったことができる人をぼくは尊敬しているし、そういった繊細さを理解できる人になりたい。

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その向こうに何があるのかというと、
自分をすり減らして気持ちよくなってみたり、
自分がそうされたかったりするのかもしれない。

仮にそうだとすると、はた迷惑な話だ。自分で自分に幻滅してしまう。

ただ、根底にはそうした劣情だけがあるのでなく、シンプルにもてなしたい気持ちもあるし、愛もあった。

このないまぜの感情に連れ添ってくれ、受け取ってくれ、ときには注意もしてくれる方々に関しては感謝しかない。

近いうち、悪い部分は取り除く気でいる。

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紅茶を選ぶときは、気持ちや状況に寄り添うことがある。

朝起きた時はストレートかレモンティー。

楽しいときや嬉しいときは華やかなフレーバード。たとえばルピシアのピーチメルバやカシスブルーベリー。

ゆっくりした時間を過ごしたいときはティーロワイヤル。ヘネシーだったりレミーマルタンだったり、マーテルの日もある。

つらいときは、すっきりとしたストレート。たとえば透き通るニルギリのような。
あるいは包み込むようなたっぷりの砂糖のロイヤルミルクティー。たとえばミルクに負けないアッサムのような。

特別なときは、ファイン・ティッピー・ゴールデン・フラワリー・オレンジペコー。

これもべつに、ふつうに楽しみたい味を楽しめばいいと思う。
それと同時に、よく考えて選ぶこともまた楽しいものだと思っている。

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ぼくはそうされたかったのだろうか。

ないではないが、自分がやるようなことを全部されたら、引いてしまうと思う。

一番心地よい温度感は自分の肌で知っていたはずなのだが。

だから……

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きょうのところは白磁に青い小花柄、その完成された、かすかなもてなしに学びたい。

理由はそれだけではないが。

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もものタルト
ニルギリのストレート、それからアッサムにたっぷりのミルクと砂糖
東洋に想いを馳せる白磁に青の小花柄
今日はそういうきもちでした

あなたには、わかりますか