ニッカポッカ

日記

I’ll say goodbye to colorado where I was born and partly raised

My face you’ll never see no more

Bob Dylan, (1962), The Man of Constant Sorrow

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都会に行く用事があったので、まともな服を着て出歩いていた。 その帰り、酔った人に「うぜぇなぁ、ボンボンがよ」と怒鳴られ、殴られかけた。

「おれだってなぁ……金が……おれだって……」

深く刻まれた顔の皺と、汚れたニッカポッカがひどく印象的だった。

自分はその場を逃れながら、たまらなく悲しくなった。

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自分がまだ貧乏学生だったころ、倉庫で荷物を運ぶバイトをしていた。

そんな軽作業バイトには色々な人がいた。 運動のためにやってきたおじいさん、子供の誕生日に手作りのケーキを焼くお母さん、ホテルマンを夢見るフリーターのお兄ちゃん、職を失ったお父さん、ギャンブルですべてをスったおばさん。

その中の一人に、Rさんという現場を引っ張るリーダーがいた。 Rさんは倉庫のほとんどすべての作業を把握し、誰よりも早く安全に重たい台車を捌き、夏になればみんなに水を飲ませるために作業を肩代わりして回った。 自分はシフトがバラバラだったが、何曜日に行っても、朝に行っても、夜勤の人が来るのりしろに行っても、いつもRさんがいた。 休憩に行く時は遠回りして現場を見て回り、食堂では無線で指示を飛ばしていた。 年季の入ったニッカポッカで、年がら年中倉庫を歩いて回っていた。

みんながRさんを信頼していたし、尊敬していた。 トラックのドライバーたちもRさんのことが好きだった。

とはいえ、Rさんはなぜそんなに働いていたのか。 それは現場に歯抜けが多かったからだ。 さらにもとを辿ると、忙しかったし、薄給だったからだ。

仕事内容は1日に20-30km、重い荷物を持って運ぶ。 運動部の大学生がキツさのあまりその日にやめてしまう。 夏場は幾度対策しても誰かしらが倒れて運ばれていく。 膝を痛めてまともに歩けなくなってしまった人や、仕事が続けられなくなった人もいた。 急に叫び出してそのまま辞めてしまう人もいた。 それでもバイト代は最低賃金だし、正社員の給料は雀の涙だった。

そんな現場の穴を、正社員やアルバイト、そしてRさんが埋めてくれていたのだった。 そうやって人が増えるまで耐え、人が辞めてはまた穴を埋めた。

ある日の休憩室で、電話する声が聞こえてきた。 「すいません、来月になったら絶対払いますから。今月だけは待ってください」 家賃を滞納するはめになってしまい、大家に電話をかけていたのだ。 ここでは色々な境遇の人がいる。そういうことはたまに起きる。 だが、その日の、その声の主はRさんだった。

現場で一番頑張っているRさんが、どうしてこんな理由で頭を下げなければならないのか。

みんなが怒った。自分も怒った。 現場の状況が一向に良くならないことに怒った。 労働者が軽視されていることに怒った。 少なくともお金という形では報いられていなかったことに怒った。

みんなで管理職たちに詰め寄った。 管理職たちもこうした現場の状況を受け止め、打開すべく何度も派遣先にかけあってくれた。 じわじわと改善の動きはあったが、実際に改善されたかというとそうでもなかった。 運悪く、倉庫全体の稼ぎが減ってしまったのだ。 コロナが流行って面積当たりの効率が激減してしまった。 そういうわけだ。

そんな傍ら、自分は膝を痛め、そして同時期にIT企業に拾ってもらった。 今は、頭を使う職に苦戦しながらも、不自由なく生活させてもらっている。 なぜ採用してもらったのかはわからない。 自分は賢くこそなかった。それなりに努力はした。 思うに運がよかったのだろう。

しかしそれは同時に、倉庫の労働環境が良くなるのを待たずして、自分が現場に穴を開けたということでもあった。

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いくら努力してもなかなか報われない人はいる。 社会はそんな人たちによっても支えられている。 じっさい自分たちの倉庫はそうだったし、日本のあらゆる場所にそういう現場はあるだろう。

現場はよくなっただろうか。 あの高いフェンスの向こう側、まだRさんはいるのだろうか。 元気でやっているだろうか。

逃げてきた自分が言えたことではないが、 どうか報われていて欲しい。

年季の入ったニッカポッカに刻まれた、幾重もの努力が。

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But there’s one promise, darling I’ll see you on God’s golden shore

Bob Dylan, (1962), The Man of Constant Sorrow