Re: 情熱の行方

日記

この記事は同名記事に対するアンサーポエムです。 ポエムなのでその流儀に従います。


もちろん時には激昂したり、悲しい気持ちになるって思うだろうけど、 それは表面上の…脂が水をはねるようなもので、あー…心の奥底では水をうったように静かになるの。

わかるかしら。 正気でいようとすればそのうち嫉妬なんてしなくなるし、できなくなるわ。

芦山, (2015), 庚申の夜, p.28, 芦山文学


ぼくは飽きもすれば、倦みもすれば、疲れもすれば、目先が変わりもしますが、 それでやめる選択肢を取らない以上、やる以外に道はなくて、それでも出来ないなら不貞寝するようにしています。 それすら許されないなら外行ってマラソンでもしてくればいいと思います。それで済むなら、それで済むような些細な問題だったということです。勝てば官軍。


ただ、どうしてか「飽きたな」っていう感情は今解決しなきゃいけない風に見えるものです。 あんまり自分の心に逆張りするのも不健康かもしれない。というわけで、タスクは置いておいて、それを先に解決するパターンがあってもいい。

ただこれは、筋が悪いよって結構言われる。 というわけで「端から見ると筋のいい選択じゃないかもしらんけど、ぼくは飽きた根本原因を見つけてつぶせて、 トータル早く課題が解決できると思ってる。なぜならぼくは天才なので」と思っていればいいと思う。


自分のやった選択が間違ったな~って思っても、「次来たらこっちの選択するか!」で済む問題ですし、 それで済まないなら正しくなるまで修正舵を当てるまでです。

Windowsでレジストリを書き換えるのと同じで、壊れるかもしらんけど多分平気だし、 完全にカーネルがイカれたら再インストールすりゃいいか、という感じじゃないですか。 それもダメならパソコンを買いなおせばいい。お金や時間を使うかもしれないが、まあ、いいじゃん!


わかるでしょうか。ぼくは情熱だけに依存して、来た波を無い力ふり絞って大波だと騒いでノることしか出来ないのです。情熱とはこうした勢い主体の人間が持つ特性です。

いくら情熱が自分を突き動かそうと、おろかと知って諦める分別、それでも進むときに相手の心配を表面上受け取る人間性、そうしたものを持つというのは大切な気がします。 たとえば「全財産を川に投げ捨てると幸せになれます!」っていうことをやりたくなったときに「それはやめたほうがいい」という発言に耳を貸さないのはいくらなんでも愚かです。 それでもきっと、ぼくのような人間は喜び勇んで全財産を川に投げ捨てることになるでしょう。ノれないことを許せないはずなので。

これに身を任せることをよしとする者だけが前に進めばいい。 そうでないならばそうでないことに気を病む必要はない。


でも、それって以前よりいい人間になったと思う?

芦山, (2015), 庚申の夜, p.28, 芦山文学