一杯のラーメンによせて

どうでもいい話

料理は友達

料理をした

ヒマになったので久々にした。

レシピは以下の通り。 湯河原の名店「飯田商店」の店主であり、「ラーメンの鬼」佐野実の弟子でもある飯田将太氏考案。

鶏ひき肉と昆布だけ!スープから仕上げる鶏塩ラーメンの作り方【飯田商店】 - YouTube

つくる

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煮込む。 待つだけ。

ちなみに左にあるのはレードル。よそいやすいので、カレー以外の液体全般で積極的に使っている。

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もろもろ端折ると出来る。 端折った中でひとつ言っておくと、かんすいの匂いが嫌いならゆであがった麺にお湯を注ぐか生めんを蒸すといい。

ぼくの包丁さばきが壊滅的なあまりネギがデカすぎるが、それはそういう味として許容していく。

どうなのか

びっくりするほどデリシャスではないが、4割引のマルちゃんの麺とか売り場の端っこでひからびたネギとかを使っても高いレベルでまとまる。家のそれよりも店のそれが近い。

下準備・本調理とも切るか待つかしかせず、死ぬほど楽なのもいい。

ラードの扱いが変だったのか、ちょっとコゲくさくて他の素材の味が隠れてしまったが、まあ料理ベタならこんなもんかなという感じ。

総合的に、いい気分転換、ヒマつぶしだった。

自炊に関して

自炊は生きるための手段であり娯楽であると思っている。 同時に、様々な方にケンカを売るようだが、買えるなら買った方がいいだろうと思っている。その時間を余計に働いて買ってくれば同じような質・量の飯に加えてお釣りが得られるし、金を払って時間を買えるなら買いたいし、食えればいいし、極端にマズくなければよくないか。

当然ながら、

  • ありものの飯より自分で選んで作れば添加物が
  • 栄養バランスが
  • 技術が
  • 楽しさが

という話はわかる。 しかし、いくつかの理由でぼくは自炊にうしろめたさがある。

道は好む所によらず難き

料理は楽しいし、実益を兼ねる。 しかしその道は長く険しい。

私の父は料理人である。

蕎麦屋の息子として生まれ、辻調やさまざまな名店で修業を積み、現在にいたるまでひたすら料理をやっている。たまの休みは家で料理をするか寝てるかで、キャッチボールやら海やらといった思い出は両手で数えきれる可能性が濃厚だが、まあそれくらいには料理をしている。今は修行のためと職場の事情のため家を飛び出してしまって、姿を見ることは無い。

そんな彼は自分の料理に「納得がいかない。一流の料理人が作る料理ではない」という評を下すことがよくある。世間の評としても、彼が特別優れているとされることはない。いつまでたっても大成できずに、しかし強かに取り組み続けている。父は気丈である一方、癇癪や浪費癖があるのだが、これは生来のものだけだったろうか。

正直、もう満足してもいいと思う。 味はだいぶ高いレベルにあるし、報われ難い努力で家庭事情に傷をつけるのもとっくに限界まで来ている。

そういう事情だ。ぼくは努力に対して肯定的だが、料理の努力に関しては悲愴なイメージが取り巻いて一歩引いてしまう。

ゲームは一日一時間

そもそも、ぼくはエンジニアとして大成したい。 これには大量の時間を要する。 しかし、自炊をしてもプログラミングの知識は増えない。

自分で列挙しうる今後必要な技術の習得だけでも結構な数になるし、自分が見落とした技術・今後出てくる技術を考慮すると考えるまでもない。得るべき技術は星の数ほど待っていて、今の技術は光の速さで過去のものになっていく。時間がどれだけあっても足りない。

そういう意味で、自炊は気分転換くらいにしておかないと時間がもったいないな、という感覚がある。

まとめ

料理した。上達しようという気はないし基本買うけど、たまにやると気分いいね。という話だった。

一応言っておくと、これは個人的なスタンスと思い出話であって、料理が好きでやっている人の生き方を否定するものではない。

誰もかれもが私の父のような人を見て生きてはいないし、誰もかれもがエンジニアとしての理想像を追い求めていないし、同じ境遇だとしても同じように捉えるとは思わない。各自好きなようにやったらいいと思う。

それが出来たら何になるのよ 生きる希望が湧いてきます

beatmania IIDX 26 Rootage 金野火織の金色提言 より

世に言う趣味はたいていこういうものなので。